人&言葉の花園ブログ

名言、諺、名台詞、新語、流行語、詩・俳句・短歌や人物&言葉の使い方などをお知らせしています。

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"お変わりありませんか?" はエレガントな大人の「挨拶の一言」八坂裕子著「素敵な大人のひと言」より

☆彡空気を換える「挨拶の一言」

 

"お変わりありませんか?" "おかげさまで…"

 

「まあ、しばらく」

 

お変わりありませんか?

 

 学校や職場、あるいは親類などで少し年上の人に久しぶりに逢った時に使う。

 合わなかった間に何か変化はなかっただろうかについて訊くのだ。

 

とは言っても、具体的にではなく、抽象的でかなりあいまいに。一種の社交辞令だ。

 

 「お元気ですか?」の一言だと、健康がテーマになるが「お変わりありませんか?」だと、健康以外にも、仕事、家族構成、アドレスが変わったかどうかという意味合いが含まれる。

 

 だから相手の受け取り方もまちまちで、「ええ、元気よ」と応える人もいれば、「妹がついに結婚したの。相手はあの彼ではないけど」と家族の近況を語る人もいる。

 

そうした様々な対応ができるのが挨拶フレーズだ。

 

真相を究明する必要はなく、さらに深くは訊かず、「あら、そうなんですか」と軽くリアクションしよう。

 

◆花咲く得点

「お元気ですか?」のフレーズも挨拶としては無難だし、重宝であるがお変わりありませんか?の方が、半歩接近して相手の周辺まで気遣って知るニュアンスを伝える。

 

私のことを心配してくれてうれしいという印象を与え。

 相手によって、声の高低、大きさ、リズムを意識するとよい。

 優しい気持ちを届けるのに、ぶっきら棒に言ったり、不機嫌そうに言ったりしては気持ちが届かないどころかUターンしてしまう。

 

 感情を込めた物言いを日ごろからトレーニングすることだ。

 

受け答えとしては「おかげさまで」が無難で、好きな言葉だ。

 

以上は八坂裕子著「素敵な大人のひと言」より一部抜粋&加筆

八坂裕子

八坂裕子さん:詩人、エッセイスト。
お茶の水女子大学附属高校卒業。
文学座演劇研究所、シナリオ研修所修了後、東宝シナリオ研究生に。
1967年、資生堂花椿』誌第1回詩の公募で、“ナポレオンと苺”が最優秀賞を受賞。
著書に、詩集『愛と呼ぶにははやすぎるけど』(サンリオ出版)、『わたしって会話下手?』小説『あなたに。』(以上、集英社)、
30万部を超えるベストセラーとなった『頭のいい女 悪い女の話し方』『ハートを伝える聞き方、話し方』(PHP文庫)、『夢の森へいらっしゃい』(樹花舎)などがある。
現在、エコールプランタン(TEL03-3567-7235)で会話クラスの講師を担当、好評を博している。

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今日の一言「諦めないこと。どんな事態に直面してもあきらめないこと。」植村直己(冒険家)

☆彡今日の一言
「木を切り倒すのに六時間与えられたら、私は最初の世時間を斧を研ぐのに費やす」 エイブラハム・リンカーン(政治家)

エイブラハム・リンカーンのプロフィール
エイブラハム・リンカーン(英: Abraham Lincoln 1809年2月12日 - 1865年4月15日)は、アメリカ合衆国の政治家、弁護士である。名前は、アブラハム、姓はリンカンと表記されることもある。 弁護士、イリノイ州議員、上院議員を経て、1861年3月4日、第16代アメリカ合衆国大統領に就任した。
愛称は、エイブ (Abe)。また、オネスト・エイブ (Honest Abe)、レール・スプリッター (the Rail Splitter)、「偉大な解放者 (the Great Emancipator)」、「奴隷解放の父」とも呼ばれる。身長6フィート4インチ(約193cm)

 


②「諦めないこと。どんな事態に直面してもあきらめないこと。諦めないこと。どんな事態に直面してもあきらめないこと。結局私のしたことはそれだけのことだったのかもしれない」植村直己(冒険家)

植村直己
植村 直己(うえむら なおみ、1941年(昭和16年)2月12日 - 1984年(昭和59年)2月13日頃[1])は、日本の登山家、冒険家。兵庫県出身。1984年に国民栄誉賞を受賞

失踪1984年2月13日(43歳没) アメリカ合衆国 アラスカ州マッキンリー山中
現況 行方不明(認定死亡)
出身校 明治大学農学部
職業 登山家、冒険家
著名な実績
世界初五大陸最高峰登頂(1970年)
単独北極圏到達(1978年)
世界初マッキンリー冬期単独登頂(1984年)

受賞
アカデミー・オブ・アチーブメント(1970年)
バラー・イン・スポーツ賞(1978年)
国民栄誉賞1984年)

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今日もまた活きていたことを感謝しよう!

☆彡今日の一言

『毎朝、心から感謝しよう』

 

まず第一に、毎朝目覚めたら、

今日もまた活きていたことを感謝する。」ということを、

今日一日の生命への出発の第一歩とすること。

 

たいていの人は、毎朝目覚めることを当然のことであるかのように考えている。

 

ところが、いつ何時どんな事で、自己の命が失われるかもしれない。

 

 また実際において、いつかは絶対に目覚めぬ永久の眠りに入ってしまう時が来る・・・という一大事を考えると、毎朝、目覚めた時、生きていることを直感して刹那、限りない感謝を感じないではいられないと思う。

 

以上は 中村天風著「一日一話」より一部抜粋&加筆

中村天風

中村 天風(なかむら てんぷう、1876年7月30日 - 1968年12月1日)は右翼団体玄洋社社員、大日本帝国陸軍の諜報員、日本の実業家、思想家、ヨーガ行者、自己啓発講演家。天風会を創始し心身統一法を広めた。本名は中村 三郎(なかむら さぶろう)。

東京府生まれ。日露戦争の軍事探偵として活躍。当時、死病であった肺結核を発病したことから人生について深く考え、真理を求めて欧米を遍歴。 有名な学者や識者を訪ねるが、答えを見つけられず、帰国する途中にインドのヨガ聖者と出会う。そのまま彼の弟子となり、ヨガ哲学の指導を受け、病を克服。 帰国後「心身統一法」を説き、多くの著名人から支持され“天風哲学”として広く世間に認められるようになる。1968年没、享年92歳

影響を受けた人々
中村天風の考え・活動に影響を受けた人々は、ヨガ関係は勿論であるが、その他にも多い。東郷平八郎原敬北村西望宇野千代双葉山広岡達朗などで、実業界では松下幸之助稲盛和夫などである。近くは、大谷翔平などがいる。

主な著書
真人生の探究(財団法人天風会)1947年
研心抄(財団法人天風会)1948年
錬身抄(財団法人天風会)1949年
成功の実現(日本経営合理化協会)ISBN 4930838541
盛大な人生(日本経営合理化協会)ISBN 4930838592
心に成功の炎を(日本経営合理化協会)ISBN 4930838800
運命を拓く(講談社文庫) ISBN 4062637391
哲人哲語(財団法人天風会)
安定打坐考抄(財団法人天風会)
叡智のひびき - 天風哲人箴言註釈 (講談社)ISBN 4062076950
真理のひびき - 天風哲人新箴言註釈 (講談社) ISBN 4062082632
いつまでも若々しく生きる(日本経営合理化協会)ISBN 4930838975
君に成功を贈る(日本経営合理化協会)ISBN 4891010207
天風先生座談(宇野千代著 中村天風・述)(廣済堂出版)ISBN 9784331650233 ISBN 978-4331654248
中村天風の生きる手本—世界でいちばん価値ある「贈り物」(宇野千代著 中村天風・述)知的生きかた文庫(三笠書房)ISBN 978-4837976158
中村天風 成功哲学三部作・講演CD付(日本経営合理化協会) ISBN 9784891012281

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7月27日の誕生花 マツバボタン(晩夏) 紅白の松葉牡丹に母を思ふ…石鼎(はらせきてい)

☆彡今日の一言

 

孤独の寂しさが

 

人間の心を

 

静かに燃やしてくれる。

 

前田夕暮 (歌人)  1883年7月27日-1954年4月20日

 

 

大切なことに気づく365日名言の旅

大切なことに気づく365日名言の旅

 

 

以上は 編者 WRITES PUBLISHING 「大切なことに気づく365日名言の旅」より一部抜粋&加筆

 

★前田 夕暮のプロフィール

 

 

 

前田 夕暮(まえだ ゆうぐれ、1883年(明治16年)7月27日 - 1951年(昭和26年)4月20日)は、日本の歌人。明治から昭和期にかけて活動した。本名:前田 洋造(洋三とも)。

神奈川の生まれ。本名、洋造。尾上柴舟(おのえさいしゅう)に師事。「詩歌」を創刊して、明星派に対抗。自然主義短歌といわれる牧水・夕暮時代を現出した。のち、自由律短歌を提唱。歌集「収穫」「生くる日に」「原生林」など。


神奈川県大住郡南矢名村(現・秦野市)の豪農の家に生まれる。父は県議、村長を務めた厳格な人物であった。
若山牧水とともに自然主義文学を代表する歌人であり、「夕暮・牧水時代」といわれる時代を築いた。昭和初期には口語自由律短歌を牽引し、後の口語短歌の基礎を固めた。
門下には宮崎信義、香川進、米田雄郎、中野嘉一、三宅千代、松村又一などがいる。
関東木材合名会社を経営する実業家としては、奥秩父小森川水源地帯の山林開発に関わった。埼玉県秩父市には夕暮の名に因んだ「入川渓谷夕暮キャンプ場」がある。

代表歌
・木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな(『収穫』)
・向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ(『生くる日に』)
印象派絵画の影響を受けて詠まれた、小中学校の教科書に採用されることも多い作品。
・自然がずんずん体のなかを通過するーー山、山、山(『水源地帯』)
初めて飛行機に乗った時の感慨を詠んだ歌。口語自由律期を代表する作品。

 

 

 

☆彡7月27日の誕生花 マツバボタン(晩夏) 花言葉:無邪気、可憐

 

紅白の松葉牡丹に母を思ふ

 

松葉牡丹は夏の日照りにも、くっきりとした花を咲かせる。

 

母の記憶と寄り添う花の美しさが心にしみる。

 

原石鼎(はらせきてい)

 

 

以上は ラジオ深夜便編集 「ラジオ深夜便誕生日の花ときょうの一句」より一部抜粋&加筆

 

ラジオ深夜便誕生日の花ときょうの一句 第2集 (ステラMOOK)

ラジオ深夜便誕生日の花ときょうの一句 第2集 (ステラMOOK)

 

 

石鼎のプロフィール

(はら せきてい、1886年3月19日 - 1951年12月20日)は、島根県出身の俳人高浜虚子に師事、「鹿火屋」を創刊・主宰。大正期の「ホトトギス」を代表する作家の一人で、色彩感覚に優れたみずみずしい作風で一世を風靡した。本名は鼎。初号・鉄鼎。別号・ひぐらし


1886‐1951(明治19‐昭和26)
俳人島根県生れ。本名鼎(かなえ)。京都医専に学ぶなど家業の医を志したが挫折,転々と職をかえ,1912年次兄に従い奥吉野で医業を手伝いつつ俳句に専念した。吉野の風物を鋭敏な感性と高朗な調べによって印象鮮明に格調高くうたい上げ,大正初期の《ホトトギス》に登場,村上鬼城,渡辺水巴,飯田蛇笏,前田普羅と共に《ホトトギス》の主観尊重の一時期を画した。13年吉野を出て再び放浪生活に入ったが,17年《東京日日新聞》俳句欄を担当,放浪生活に終止符を打った。

代表的な句に
頂上や殊に野菊の吹かれ居り(1912年作)
淋しさに又銅鑼打つや鹿火屋守(1914年作)
花影婆娑と踏むべくありぬ岨の月(1914年作)
秋風や模様のちがふ皿二つ(1915年作)
雪に来て美事な鳥のだまり居る(1934年作)

 

「いつも自分をきれいに明るく 磨いておくように。」ジョージ・バーナード・ショー &鳥海昭子の短歌

いつも自分をきれいに明るく

 

磨いておくように。

 

あなたは自分という窓を通して

 

世界を見るのだから。

 

ジョージ・バーナード・ショー 劇作家

 

 

大切なことに気づく365日名言の旅

大切なことに気づく365日名言の旅

 

 

以上は WRITES PUBLISHING 「大切なことに気づく365日名言の旅」より一部抜粋&加筆

 

ジョージ・バーナード・ショー のプロフィール

ジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw, 1856年7月26日 - 1950年11月2日)はアイルランドの文学者、脚本家、劇作家、評論家、政治家、教育家、ジャーナリスト。
ヴィクトリア朝時代から近代にかけて、イギリスやアメリカ合衆国など英語圏の国々で多様な功績を残した才人として知られている。

国籍
アイルランド
ジャンル
戯曲、風刺、ブラックジョー
代表作
ピグマリオン
『聖女ジョウン』
『ウォレン夫人の職業』
『シーザーとクレオパトラ
主な受賞歴
ノーベル文学賞
アカデミー脚色賞
デビュー作
『やもめの家』(1892年)
配偶者
シャーロット・ペイン=タウンセンド
親族
エリノア・アグネス
ルシンダ・フランシス

代表作品
ピグマリオン』(Pygmalion)(1913年初演)
ガブリエル・パスカルによって1938年に映画化され、ショーはアカデミー脚色賞を受賞した。また、アラン・J・ラーナーによってミュージカル化され、『マイ・フェア・レディ』としてブロードウェーで大ヒットしたことは良く知られている。原作、ミュージカル共に、現在も世界各地で上演されている。
『聖女ジョウン』(Saint Joan)(1923年初演)
それまで悲劇のヒロインとして描かれてきたジャンヌ・ダルクを、社会と葛藤する一人の人間として描き、1925年にノーベル文学賞を受賞した。1957年に映画化されている(監督:オットー・プレミンジャー、脚色:グレアム・グリーン)。

 

 

☆彡誕生花 ムクゲ 今日の花言葉:デリケートな美、柔和

 

『おのずから今日を選びて咲きにけりいちにち花よ白いムクゲよ』

 

夏中咲いているような印象のムクゲですが、朝咲いては夜にはしぼむ1日花です。

昨日でもなく、明日でもなく、今日という日を自ら選んで咲いているに違いありません。

 

 

ラジオ深夜便誕生日の花と短歌365日 (ステラMOOK)

ラジオ深夜便誕生日の花と短歌365日 (ステラMOOK)

 

 

以上は 鳥海昭子著 「ラジオ深夜便誕生日の花と短歌365日」より一部抜粋&加筆

 

★鳥海昭子のプロフィール

鳥海 昭子(とりのうみ あきこ、1929年 - 2005年10月9日)は、歌人、エッセイスト。

経歴
山形県鳥海山麓生まれ。1949年歌誌「アララギ」入会。その後「歌と観照」「短詩型文学」に所属する。家出同然で上京して、様々な仕事を経験しながら学費を稼ぎ、1955年國學院大學文学部日本文学科卒業。児童養護施設に洗濯婦として働き始め、身寄りのない子供たちの継母として26年間勤め上げた。1985年、歌集「花いちもんめ」で第29回現代歌人協会賞受賞。1992年東京都文化功労賞受賞。現代歌人協会会員。児童養護施設勤務経験をもとにした随筆も執筆している。2005年、NHKラジオの「ラジオ深夜便」にて誕生日の花にちなんだ短歌を一年間発表。放送期間中に死去したが、歌の発表は2006年3月まで継続した。

著書
花いちもんめ 歌集 玄王社 1984.3 (黄鶏叢書)
花かんむりの子どもたち ユック舎 1986.7
どっぴん語り 歌集 短歌新聞社 1990.5
種をにぎる子供たち 養護施設の一隅リポート 広済堂出版 1991.12
あしたの陽の出 藍書房 1996.3
逆立舞 歌集 藍書房 1997.8
ででっぽの花かたんこの花 歌集 藍書房 1997.8
蕾のひらく日 子どもと並んで生きてきた 生活ジャーナル 1999.6
ほんじつ吉日 歌集 ながらみ書房 2001.4
語り部歌人・鳥海昭子のほんのり入院記 本の泉社 2003.4
ラジオ深夜便誕生日の花と短歌365日 NHKサービスセンター 2005.12

天使のひと言「お母さん、きょうは僕の夢に来てね」「ママ、たっちゃんを許してあげてね」

ネットで本を検索していたら感動&ほほえましいものが見つかりました。

 

「天使のひと言」という本です。少し紹介したくて投稿しました。

 

☆彡お母さん、きょうは僕の夢に来てね 7歳・男

 

息子も次第に友達と遊びが優先になりました。けれど「お母さん一緒に寝よう」と言うのは昔のまんま。そんな時に息子の口からフッと出た言葉です。(44歳・女)

 

※「夢でもし逢えたら素敵なことね♪~」と言うフレーズを思い出しますね。

 

☆彡ちょっとだけ、だっこして 男

 

手のかからない次男が、忙しく家事をしている私にボソッと (34歳・女)

 

☆彡だって寝たらお母さんの顔がみえないもん 3歳・男

 

もういい加減に寝なさいと言ったら。私を骨抜きにするセリフです。(31歳・女)

 

☆彡ぼく、そばにおっちゃる 4歳・男

 

私が風邪をひいて寝込んでいた時、私の耳元でそっと一言 (34歳・女)

 

☆彡じゃあぼくは絶対結婚しないよ 7歳・男

 

君が結婚したらママ死んでもいいなと言うと。(35歳・母)

 

☆彡なくなよ・・・母さんが天国に来た時親孝行するからネ、ありがとう

 

26歳で5日間の入院生活で他界。最後の言葉。(60歳・女)

 

☆彡うちのお父さんだっていい奴じゃないか 6歳・女

 

テレビで好きな俳優を見て、私の「この人と結婚したかったな」に。(42歳・女)

 

☆彡お父さんの顔を見たくて、早く起きたんだ 5歳・男

 

珍しく、早起きの息子。「どうしてこんなに早く起きたの」と聞いたら、帰ってきた一言。父親は朝早くから夜遅くまで仕事で日曜ぐらいしか会う機会がありません。

やっぱり、子供にとって父親は大事なんだなぁと痛感しました。(31歳・女)

 

☆彡私もお父さんが年をとったら、おむつを替えてあげるからね~

 

父の「お父さんもよく昔はユカちゃんのオムツを替えてあげたよな~」に対して (36歳・女) 

 

☆彡パパは家の中にいるだけで我が家のの財産だよ 大学生になったばかりの長女より

 

今まで働いていた夫が30代で脳溢血のため障害者となりました。私が「お父さんの収入がなくなったので、みんな無駄遣いしないようにね」と子供たちに話したところ。

(47歳・女)

 

☆彡ママ、たっちゃんを許してあげてね 3歳・女

 

「たっちゃん」と言うのは下の息子で、私がしかりつけたのを娘はちゃんと見てたんですね。いつもはケンカばかりしているのにやはり、姉弟なんですね。 (35歳女)

 

☆彡おうちが天国だったらいつもパパに会えるのにね 4歳

 

パパのお墓参りに行った帰りの車の中でのひと言 (37歳・女)

 

☆彡毎日ずーっと拝みよったら、帰ってくる? 3歳・男

 

亡き自分の父親の顔の記憶もないままに、必ず私(祖母)の横に並び手を合わせて。(81歳・女)

 

☆彡なおちゃん、雲の上で遊んでいるかな 

 

3年前に突然死で亡くなった弟なおとを思って。(58歳・男)

 

 

新版 天使のひと言 (祥伝社黄金文庫)

新版 天使のひと言 (祥伝社黄金文庫)

 

 

以上は 全労災編 わが子がくれた言葉の贈り物 天使のひと言 より一部抜粋&加筆

 

我が家の「天使のひと言」

☆彡「じいちゃん、帰ってきたら遊んでね」3歳・男の子

 

私が外出するとき「行ってらっしゃい、じいちゃん、帰ってきたら遊んでね」と。

私と遊びたいんだなぁと、ついうれしい予約をいれられた気分です。

いつも書斎まで来るので遊んであげています。

 

☆彡「よろしくね~」3歳・男の子

母親(私の娘)が孫を我が家に預けていくときに「よろしくね~」と言っていくのを真似していったひと言。可笑しく感じました。

 

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ありがとうの詩 3.11東日本大震災、7年目を迎えて

ありがとうの詩 最優秀賞五選中 2作品

➀ありがとがす

だらだらの汗 日焼けした顔

泥まみれの作業服

おめえさまとすれ違う時

おらは目頭が熱くなるちゃ

宿舎に戻っていくおめえ様の背中に向かい

おらは心の中で最敬礼するのしゃ

おめえ様は仕事だからと実に恰好いい

おめえ様にも緑豊かな故里があり

こころ優しい家族が待ってるべ

ほんでももうちょっとだけ

おらに力を貸してけねが

おらも精一杯努力すっから

必ず夜の次には朝が来て

泣いたあとには笑うときがくるちゃ

この前テレビでどこかのばあちゃんが

ありがとがすと何回も頭を下げていたのしゃ

ありがとがす ありがとがす ありがとがす

おらも精一杯努力すっから

ありがとがす

 

●作品エピソード

大震災による沿岸部の方々の被災には言葉もありません。

内陸部に住む私の家も7月解体しました。

連日支援に向かう多くの方々を見て、

せめて詩をかりてお礼申し上げたいと思いました。

一関市 62歳

 

②ふるさと閖上(ゆりあげ)

夜明けの町に

がらん がらん

鐘の音が響く

賑やかな競の声

荷籠を背負った

五十集(いさば)のおばさん

活気にみちた 港町 閖上

 

広い田圃

さらさらと

緑の風が揺れる

土手のあんどん松

唄いながら歩いた

夕焼けの道

なつかしい ふるさと 閖上

 

おんつぁーん って呼ぶと

おーっ って答える

渡し舟

水に手を入れて

ぎぃーこ ぎぃーこ

揺られながら岸に着いた

のどかな町 閖上

 

佛さまを迎える

迎え火

佛さまを送る

送り火

盆火がはじけて

だんごの焼ける香ばしい匂い

子供たちの笑顔が赤い

楽しかったお盆のころ

 

灯篭に

名前を書いて 灯をともす

また来てね 元気でね

海に向かって流れていく

灯篭を追って

何処までも 川辺を走った

子供のころの 思い出

 

まぼろしのように

消えてしまった

小さな港町 閖上

思い出して

あの人 この人

忘れないで

小さな港町 閖上

 

●作品エピソード

3・11の震災の日、閖上の町はすっかり姿を消してしまいました。私はぽつんと残された日和山に立ち、すぐ間近に迫った海を見つめて唖然としました。

閖上は小さな港町で、そこに住む人達も含めて個性あふれる町でした。

近海でとれる魚はおいしかった。五十集(いさば)の女性たちが美味しい魚を仙台に届けていました。

荒海で命を懸けて漁をする漁師たちは声も荒いと言われながら、その言葉の奥にひそむ温かさが何とも言えず魅力的なひとたちでした。

今、幼いころから娘時代までを育んでくれた閖上の町と昔からそこで営まれた人々の生活を思うと自然に詩という形で言葉が出てきました。

みんなの心に寄り添っていきたいという気持ちが詩になりました。

 

仙台市青葉区78歳

 

 

 

ありがとうの詩―3・11大震災復興支援企画

ありがとうの詩―3・11大震災復興支援企画

 

 

以上は 一力雅彦 河北新報発行 「ありがとうの詩」プロジェクト実行委員会

3・11大震災復興支援企画「ありがとうの詩」より一部抜粋

 

☆彡東日本大震災

2011年3月11日午後2時46分、三陸沖で発生したマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震により引き起こされた大災害。最大震度7の強い揺れと国内観測史上最大の津波を伴い、東北・関東地方を中心とする広い範囲に甚大な被害をもたらした。また、東京電力福島第一原子力発電所が被災し、放射性物質が漏れ出す深刻な事態になった。

 

地震発生
2011年(平成23年)3月11日(金曜日)14時46分18秒(日本時間)、宮城県牡鹿半島の東南東沖130km(北緯38度06.2分、東経142度51.6分、深さ24km)を震源とする東北地方太平洋沖地震が発生した。


地震の規模はモーメントマグニチュード (Mw) 9.0で、発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震である。


震源域は広大で、岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmのおよそ10万km2に及ぶ。


最大震度は宮城県栗原市で観測された震度7で、宮城・福島・茨城・栃木の4県36市町村と仙台市内の1区で震度6強を観測した。観測された最大加速度は宮城県栗原市のK-NET築館(MYG004)観測点で、2933ガル


東日本大震災死者数(行方不明者数)
宮城 9540人(1223人)
岩手 4674人(1116人)
福島 1614人(196人)
全国 15895人(2539人)
※警視庁などまとめ

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