人&言葉の時の花園

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7月27日の誕生花 マツバボタン(晩夏) 紅白の松葉牡丹に母を思ふ…石鼎(はらせきてい)

☆彡今日の一言

 

孤独の寂しさが

 

人間の心を

 

静かに燃やしてくれる。

 

前田夕暮 (歌人)  1883年7月27日-1954年4月20日

 

 

大切なことに気づく365日名言の旅

大切なことに気づく365日名言の旅

 

 

以上は 編者 WRITES PUBLISHING 「大切なことに気づく365日名言の旅」より一部抜粋&加筆

 

★前田 夕暮のプロフィール

 

 

 

前田 夕暮(まえだ ゆうぐれ、1883年(明治16年)7月27日 - 1951年(昭和26年)4月20日)は、日本の歌人。明治から昭和期にかけて活動した。本名:前田 洋造(洋三とも)。

神奈川の生まれ。本名、洋造。尾上柴舟(おのえさいしゅう)に師事。「詩歌」を創刊して、明星派に対抗。自然主義短歌といわれる牧水・夕暮時代を現出した。のち、自由律短歌を提唱。歌集「収穫」「生くる日に」「原生林」など。


神奈川県大住郡南矢名村(現・秦野市)の豪農の家に生まれる。父は県議、村長を務めた厳格な人物であった。
若山牧水とともに自然主義文学を代表する歌人であり、「夕暮・牧水時代」といわれる時代を築いた。昭和初期には口語自由律短歌を牽引し、後の口語短歌の基礎を固めた。
門下には宮崎信義、香川進、米田雄郎、中野嘉一、三宅千代、松村又一などがいる。
関東木材合名会社を経営する実業家としては、奥秩父小森川水源地帯の山林開発に関わった。埼玉県秩父市には夕暮の名に因んだ「入川渓谷夕暮キャンプ場」がある。

代表歌
・木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな(『収穫』)
・向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ(『生くる日に』)
印象派絵画の影響を受けて詠まれた、小中学校の教科書に採用されることも多い作品。
・自然がずんずん体のなかを通過するーー山、山、山(『水源地帯』)
初めて飛行機に乗った時の感慨を詠んだ歌。口語自由律期を代表する作品。

 

 

 

☆彡7月27日の誕生花 マツバボタン(晩夏) 花言葉:無邪気、可憐

 

紅白の松葉牡丹に母を思ふ

 

松葉牡丹は夏の日照りにも、くっきりとした花を咲かせる。

 

母の記憶と寄り添う花の美しさが心にしみる。

 

原石鼎(はらせきてい)

 

 

以上は ラジオ深夜便編集 「ラジオ深夜便誕生日の花ときょうの一句」より一部抜粋&加筆

 

ラジオ深夜便誕生日の花ときょうの一句 第2集 (ステラMOOK)

ラジオ深夜便誕生日の花ときょうの一句 第2集 (ステラMOOK)

 

 

石鼎のプロフィール

(はら せきてい、1886年3月19日 - 1951年12月20日)は、島根県出身の俳人高浜虚子に師事、「鹿火屋」を創刊・主宰。大正期の「ホトトギス」を代表する作家の一人で、色彩感覚に優れたみずみずしい作風で一世を風靡した。本名は鼎。初号・鉄鼎。別号・ひぐらし


1886‐1951(明治19‐昭和26)
俳人島根県生れ。本名鼎(かなえ)。京都医専に学ぶなど家業の医を志したが挫折,転々と職をかえ,1912年次兄に従い奥吉野で医業を手伝いつつ俳句に専念した。吉野の風物を鋭敏な感性と高朗な調べによって印象鮮明に格調高くうたい上げ,大正初期の《ホトトギス》に登場,村上鬼城,渡辺水巴,飯田蛇笏,前田普羅と共に《ホトトギス》の主観尊重の一時期を画した。13年吉野を出て再び放浪生活に入ったが,17年《東京日日新聞》俳句欄を担当,放浪生活に終止符を打った。

代表的な句に
頂上や殊に野菊の吹かれ居り(1912年作)
淋しさに又銅鑼打つや鹿火屋守(1914年作)
花影婆娑と踏むべくありぬ岨の月(1914年作)
秋風や模様のちがふ皿二つ(1915年作)
雪に来て美事な鳥のだまり居る(1934年作)

 

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