人&言葉の時の花園

名言、諺、時事新語、流行語、詩・俳句・短歌や人物&言葉の使い方などをお知らせしています。

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「いつも自分をきれいに明るく 磨いておくように。」ジョージ・バーナード・ショー &鳥海昭子の短歌

いつも自分をきれいに明るく

 

磨いておくように。

 

あなたは自分という窓を通して

 

世界を見るのだから。

 

ジョージ・バーナード・ショー 劇作家

 

 

大切なことに気づく365日名言の旅

大切なことに気づく365日名言の旅

 

 

以上は WRITES PUBLISHING 「大切なことに気づく365日名言の旅」より一部抜粋&加筆

 

ジョージ・バーナード・ショー のプロフィール

ジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw, 1856年7月26日 - 1950年11月2日)はアイルランドの文学者、脚本家、劇作家、評論家、政治家、教育家、ジャーナリスト。
ヴィクトリア朝時代から近代にかけて、イギリスやアメリカ合衆国など英語圏の国々で多様な功績を残した才人として知られている。

国籍
アイルランド
ジャンル
戯曲、風刺、ブラックジョー
代表作
ピグマリオン
『聖女ジョウン』
『ウォレン夫人の職業』
『シーザーとクレオパトラ
主な受賞歴
ノーベル文学賞
アカデミー脚色賞
デビュー作
『やもめの家』(1892年)
配偶者
シャーロット・ペイン=タウンセンド
親族
エリノア・アグネス
ルシンダ・フランシス

代表作品
ピグマリオン』(Pygmalion)(1913年初演)
ガブリエル・パスカルによって1938年に映画化され、ショーはアカデミー脚色賞を受賞した。また、アラン・J・ラーナーによってミュージカル化され、『マイ・フェア・レディ』としてブロードウェーで大ヒットしたことは良く知られている。原作、ミュージカル共に、現在も世界各地で上演されている。
『聖女ジョウン』(Saint Joan)(1923年初演)
それまで悲劇のヒロインとして描かれてきたジャンヌ・ダルクを、社会と葛藤する一人の人間として描き、1925年にノーベル文学賞を受賞した。1957年に映画化されている(監督:オットー・プレミンジャー、脚色:グレアム・グリーン)。

 

 

☆彡誕生花 ムクゲ 今日の花言葉:デリケートな美、柔和

 

『おのずから今日を選びて咲きにけりいちにち花よ白いムクゲよ』

 

夏中咲いているような印象のムクゲですが、朝咲いては夜にはしぼむ1日花です。

昨日でもなく、明日でもなく、今日という日を自ら選んで咲いているに違いありません。

 

 

ラジオ深夜便誕生日の花と短歌365日 (ステラMOOK)

ラジオ深夜便誕生日の花と短歌365日 (ステラMOOK)

 

 

以上は 鳥海昭子著 「ラジオ深夜便誕生日の花と短歌365日」より一部抜粋&加筆

 

★鳥海昭子のプロフィール

鳥海 昭子(とりのうみ あきこ、1929年 - 2005年10月9日)は、歌人、エッセイスト。

経歴
山形県鳥海山麓生まれ。1949年歌誌「アララギ」入会。その後「歌と観照」「短詩型文学」に所属する。家出同然で上京して、様々な仕事を経験しながら学費を稼ぎ、1955年國學院大學文学部日本文学科卒業。児童養護施設に洗濯婦として働き始め、身寄りのない子供たちの継母として26年間勤め上げた。1985年、歌集「花いちもんめ」で第29回現代歌人協会賞受賞。1992年東京都文化功労賞受賞。現代歌人協会会員。児童養護施設勤務経験をもとにした随筆も執筆している。2005年、NHKラジオの「ラジオ深夜便」にて誕生日の花にちなんだ短歌を一年間発表。放送期間中に死去したが、歌の発表は2006年3月まで継続した。

著書
花いちもんめ 歌集 玄王社 1984.3 (黄鶏叢書)
花かんむりの子どもたち ユック舎 1986.7
どっぴん語り 歌集 短歌新聞社 1990.5
種をにぎる子供たち 養護施設の一隅リポート 広済堂出版 1991.12
あしたの陽の出 藍書房 1996.3
逆立舞 歌集 藍書房 1997.8
ででっぽの花かたんこの花 歌集 藍書房 1997.8
蕾のひらく日 子どもと並んで生きてきた 生活ジャーナル 1999.6
ほんじつ吉日 歌集 ながらみ書房 2001.4
語り部歌人・鳥海昭子のほんのり入院記 本の泉社 2003.4
ラジオ深夜便誕生日の花と短歌365日 NHKサービスセンター 2005.12

天使のひと言「お母さん、きょうは僕の夢に来てね」「ママ、たっちゃんを許してあげてね」

ネットで本を検索していたら感動&ほほえましいものが見つかりました。

 

「天使のひと言」という本です。少し紹介したくて投稿しました。

 

☆彡お母さん、きょうは僕の夢に来てね 7歳・男

 

息子も次第に友達と遊びが優先になりました。けれど「お母さん一緒に寝よう」と言うのは昔のまんま。そんな時に息子の口からフッと出た言葉です。(44歳・女)

 

※「夢でもし逢えたら素敵なことね♪~」と言うフレーズを思い出しますね。

 

☆彡ちょっとだけ、だっこして 男

 

手のかからない次男が、忙しく家事をしている私にボソッと (34歳・女)

 

☆彡だって寝たらお母さんの顔がみえないもん 3歳・男

 

もういい加減に寝なさいと言ったら。私を骨抜きにするセリフです。(31歳・女)

 

☆彡ぼく、そばにおっちゃる 4歳・男

 

私が風邪をひいて寝込んでいた時、私の耳元でそっと一言 (34歳・女)

 

☆彡じゃあぼくは絶対結婚しないよ 7歳・男

 

君が結婚したらママ死んでもいいなと言うと。(35歳・母)

 

☆彡なくなよ・・・母さんが天国に来た時親孝行するからネ、ありがとう

 

26歳で5日間の入院生活で他界。最後の言葉。(60歳・女)

 

☆彡うちのお父さんだっていい奴じゃないか 6歳・女

 

テレビで好きな俳優を見て、私の「この人と結婚したかったな」に。(42歳・女)

 

☆彡お父さんの顔を見たくて、早く起きたんだ 5歳・男

 

珍しく、早起きの息子。「どうしてこんなに早く起きたの」と聞いたら、帰ってきた一言。父親は朝早くから夜遅くまで仕事で日曜ぐらいしか会う機会がありません。

やっぱり、子供にとって父親は大事なんだなぁと痛感しました。(31歳・女)

 

☆彡私もお父さんが年をとったら、おむつを替えてあげるからね~

 

父の「お父さんもよく昔はユカちゃんのオムツを替えてあげたよな~」に対して (36歳・女) 

 

☆彡パパは家の中にいるだけで我が家のの財産だよ 大学生になったばかりの長女より

 

今まで働いていた夫が30代で脳溢血のため障害者となりました。私が「お父さんの収入がなくなったので、みんな無駄遣いしないようにね」と子供たちに話したところ。

(47歳・女)

 

☆彡ママ、たっちゃんを許してあげてね 3歳・女

 

「たっちゃん」と言うのは下の息子で、私がしかりつけたのを娘はちゃんと見てたんですね。いつもはケンカばかりしているのにやはり、姉弟なんですね。 (35歳女)

 

☆彡おうちが天国だったらいつもパパに会えるのにね 4歳

 

パパのお墓参りに行った帰りの車の中でのひと言 (37歳・女)

 

☆彡毎日ずーっと拝みよったら、帰ってくる? 3歳・男

 

亡き自分の父親の顔の記憶もないままに、必ず私(祖母)の横に並び手を合わせて。(81歳・女)

 

☆彡なおちゃん、雲の上で遊んでいるかな 

 

3年前に突然死で亡くなった弟なおとを思って。(58歳・男)

 

 

新版 天使のひと言 (祥伝社黄金文庫)

新版 天使のひと言 (祥伝社黄金文庫)

 

 

以上は 全労災編 わが子がくれた言葉の贈り物 天使のひと言 より一部抜粋&加筆

 

我が家の「天使のひと言」

☆彡「じいちゃん、帰ってきたら遊んでね」3歳・男の子

 

私が外出するとき「行ってらっしゃい、じいちゃん、帰ってきたら遊んでね」と。

私と遊びたいんだなぁと、ついうれしい予約をいれられた気分です。

いつも書斎まで来るので遊んであげています。

 

☆彡「よろしくね~」3歳・男の子

母親(私の娘)が孫を我が家に預けていくときに「よろしくね~」と言っていくのを真似していったひと言。可笑しく感じました。

 

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ありがとうの詩 3.11東日本大震災、7年目を迎えて

ありがとうの詩 最優秀賞五選中 2作品

➀ありがとがす

だらだらの汗 日焼けした顔

泥まみれの作業服

おめえさまとすれ違う時

おらは目頭が熱くなるちゃ

宿舎に戻っていくおめえ様の背中に向かい

おらは心の中で最敬礼するのしゃ

おめえ様は仕事だからと実に恰好いい

おめえ様にも緑豊かな故里があり

こころ優しい家族が待ってるべ

ほんでももうちょっとだけ

おらに力を貸してけねが

おらも精一杯努力すっから

必ず夜の次には朝が来て

泣いたあとには笑うときがくるちゃ

この前テレビでどこかのばあちゃんが

ありがとがすと何回も頭を下げていたのしゃ

ありがとがす ありがとがす ありがとがす

おらも精一杯努力すっから

ありがとがす

 

●作品エピソード

大震災による沿岸部の方々の被災には言葉もありません。

内陸部に住む私の家も7月解体しました。

連日支援に向かう多くの方々を見て、

せめて詩をかりてお礼申し上げたいと思いました。

一関市 62歳

 

②ふるさと閖上(ゆりあげ)

夜明けの町に

がらん がらん

鐘の音が響く

賑やかな競の声

荷籠を背負った

五十集(いさば)のおばさん

活気にみちた 港町 閖上

 

広い田圃

さらさらと

緑の風が揺れる

土手のあんどん松

唄いながら歩いた

夕焼けの道

なつかしい ふるさと 閖上

 

おんつぁーん って呼ぶと

おーっ って答える

渡し舟

水に手を入れて

ぎぃーこ ぎぃーこ

揺られながら岸に着いた

のどかな町 閖上

 

佛さまを迎える

迎え火

佛さまを送る

送り火

盆火がはじけて

だんごの焼ける香ばしい匂い

子供たちの笑顔が赤い

楽しかったお盆のころ

 

灯篭に

名前を書いて 灯をともす

また来てね 元気でね

海に向かって流れていく

灯篭を追って

何処までも 川辺を走った

子供のころの 思い出

 

まぼろしのように

消えてしまった

小さな港町 閖上

思い出して

あの人 この人

忘れないで

小さな港町 閖上

 

●作品エピソード

3・11の震災の日、閖上の町はすっかり姿を消してしまいました。私はぽつんと残された日和山に立ち、すぐ間近に迫った海を見つめて唖然としました。

閖上は小さな港町で、そこに住む人達も含めて個性あふれる町でした。

近海でとれる魚はおいしかった。五十集(いさば)の女性たちが美味しい魚を仙台に届けていました。

荒海で命を懸けて漁をする漁師たちは声も荒いと言われながら、その言葉の奥にひそむ温かさが何とも言えず魅力的なひとたちでした。

今、幼いころから娘時代までを育んでくれた閖上の町と昔からそこで営まれた人々の生活を思うと自然に詩という形で言葉が出てきました。

みんなの心に寄り添っていきたいという気持ちが詩になりました。

 

仙台市青葉区78歳

 

 

 

ありがとうの詩―3・11大震災復興支援企画

ありがとうの詩―3・11大震災復興支援企画

 

 

以上は 一力雅彦 河北新報発行 「ありがとうの詩」プロジェクト実行委員会

3・11大震災復興支援企画「ありがとうの詩」より一部抜粋

 

☆彡東日本大震災

2011年3月11日午後2時46分、三陸沖で発生したマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震により引き起こされた大災害。最大震度7の強い揺れと国内観測史上最大の津波を伴い、東北・関東地方を中心とする広い範囲に甚大な被害をもたらした。また、東京電力福島第一原子力発電所が被災し、放射性物質が漏れ出す深刻な事態になった。

 

地震発生
2011年(平成23年)3月11日(金曜日)14時46分18秒(日本時間)、宮城県牡鹿半島の東南東沖130km(北緯38度06.2分、東経142度51.6分、深さ24km)を震源とする東北地方太平洋沖地震が発生した。


地震の規模はモーメントマグニチュード (Mw) 9.0で、発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震である。


震源域は広大で、岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmのおよそ10万km2に及ぶ。


最大震度は宮城県栗原市で観測された震度7で、宮城・福島・茨城・栃木の4県36市町村と仙台市内の1区で震度6強を観測した。観測された最大加速度は宮城県栗原市のK-NET築館(MYG004)観測点で、2933ガル


東日本大震災死者数(行方不明者数)
宮城 9540人(1223人)
岩手 4674人(1116人)
福島 1614人(196人)
全国 15895人(2539人)
※警視庁などまとめ

啓蟄(けいちつ)は、3月6日頃二十四節気の第3 「もうすぐ春ですね♪~」

啓蟄
啓蟄とは、3月6日頃 土の中で縮こまっていた虫(蟄)が穴を開いて(啓いて)動き出す日のことです。
この時期は、一雨降るごとに気温があがってゆき、春に近づいていきます。日差しも徐々に暖かくなってきます。
啓蟄(けいちつ)は、二十四節気の第3。二月節(旧暦1月後半から2月前半)。「啓」は「開く」、「蟄」は「虫などが土中に隠れ閉じこもる」意で、「啓蟄」で「冬籠りの虫が這い出る」(広辞苑)という意を示す。春の季語でもある。
現在広まっている定気法では太陽黄経が345度のときで3月6日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。平気法では冬至から5/24年(約76.09日)後で3月8日ごろ。
期間としての意味もあり、この日から、次の節気の春分前日までである。

驚蟄
啓蟄のことを日本以外の漢字文化圏では驚蟄(惊蛰、拼音: jīngzhé)と書く。また日本でもそう書く場合がある。
これは、漢王朝6代皇帝である景帝の諱が「啓」(現代北方音: qǐ)であり、避諱して意味が似ている「驚」の字で代用したことに由来する。同時に、孟春正月の驚蟄と、仲春二月節の「雨水」との順番を入れ換えた。同様に、「穀雨」と「清明」の順次も入れ換えた。
漢初以前 立春啓蟄 ⇒ 雨水 ⇒ 春分穀雨清明
漢景帝代 立春 ⇒ 雨水 ⇒ 驚蟄 ⇒ 春分清明穀雨
唐代に入ると、啓の字を避ける必要がなくなったことから「啓蟄」に戻された。それと同時に、順次も孟春正月中に変えられている。しかし、使い慣れないせいもあって大衍暦で再び「驚蟄」に戻され現在に至る。
日本でも、中国と同様に「驚蟄」が歴代の具注暦に使われている。後に日本でも大衍暦と宣明暦を採用したが、驚蟄は、日本では、仲春二月節とされた。日本で「啓蟄」が名称として用いられたのは、貞享の改暦の時である。従来の仲春二月節のまま、文字だけが改められた。二十四節気の名称のうちで日本と中国で異なっているのはこれだけである。
アメリカにはジリスの一種グラウンドホッグが外に出るか、出ないかで春を占う「グラウンドホッグデー」というものがある。

◆七十二候
啓蟄の期間の七十二候は以下の通り。
初候
蟄虫啓戸(ちっちゅう こを ひらく):冬蘢りの虫が出て来る(日本)
桃始華(もも はじめて はなさく):桃の花が咲き始める(中国)
次候
桃始笑(もも はじめて わらう):桃の花が咲き始める(日本)
倉庚鳴(そうこう なく):山里で鶯が鳴き始める(中国)
末候
菜虫化蝶(なむし ちょうと けす):青虫が羽化して紋白蝶になる(日本)
鷹化為鳩(たか けして はとと なる):鷹が郭公に姿を変える(中国)

◆前後の節気
雨水 → 啓蟄春分4月21日

 

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「雪国のひなのまつりに届きたる桃の花束凍りていたり」鳥海昭子 3月3日の桃の節句・ひな祭りに寄せて

3月3日は桃の節句・ひな祭り

 

誕生花はモモ 花言葉は気立ての良さ

 

☆彡雪国のひなのまつりに届きたる桃の花束凍りていたり

 

雪国ではひな祭りの時期でも零下になることがあります。

 

届いたピンクの花びらが凍ってほろほろこぼれるのでした。

 

贈っていただいた方に申し訳なく思いました。

 

鳥海昭子

 

ラジオ深夜便誕生日の花と短歌365日 (ステラMOOK)

ラジオ深夜便誕生日の花と短歌365日 (ステラMOOK)

 

 

誕生日の花と短歌365日より一部抜粋

 

 

☆彡桃の節句(上巳の節句
3月3日。女の子の健やかな成長を願う節句

元々は「上巳(じょうし・じょうみ)の節供」といわれていました。
 
起源は古来中国の上巳節。上巳とは、3月最初の巳の日という意味です。
中国では、上巳(じょうし・じょうみ)の日に、川で身を清め、不浄を祓った後に宴を催す習慣がありました。
これが平安時代日本に伝わり、宮中の「人形遊び」と結びつき「流し雛」へと発展したといわれています。


雛祭り(ひなまつり)は、日本において、女子のすこやかな成長を祈る節句の年中行事。
ひな人形(「男雛」と「女雛」を中心とする人形)に桜や橘、桃の花など木々の飾り、雛あられや菱餅などを供え、白酒やちらし寿司などの飲食を楽しむ節句祭りである。

 


雛祭り (京雛・八段、久月) -Japanese Dolls' (Girls') Festival-

種類
内裏雛(だいりびな)
名称は親王(男雛 - だいり雛、女雛 - 雛人形)。親王親王妃を表すとされることが多い。繧繝縁(うんげんべり)の厚畳の親王台が敷かれる。お内裏様、お雛様、いずれも男雛と女雛の2人で一対を指すものであり、男雛のみを「お内裏様」、女雛のみを「お雛様」と呼ぶのは誤りである。
この誤用はサトウハチローが作詞した童謡「うれしいひなまつり」の歌詞から広まった。サトウハチロー自身はこの誤りを恥じ、後々まで気にしていたという。

三人官女(さんにんかんじょ)
宮中に仕える女官をあらわし、通常3体1組の人形を二段目に配置する。手に持つ道具は、中央が島台または三方、向かって右に長柄(ながえ)、左には提子(ひさげ)、高坏がある例では各女官の間に飾る[8]。

●五人囃子(ごにんばやし)
能のお囃子を奏でる5人の楽人をあらわし、三段目に配置する。向かって右から、謡(うたい)、笛(ふえ)、小鼓(こつづみ)、大鼓(おおつづみ)、そして太鼓(たいこ)の順であり、右から楽器が小さい順番に並んでいる。能囃子の代わりに「五人雅楽」の楽人の場合もあり、向かって右から、羯鼓(かっこ)、楽太鼓、笙(しょう)、篳篥(ひちりき)、横笛の順に並べる[9]。中性的な容姿だが、れっきとした男性である。

随身(ずいじん、ずいしん)
四段目に配置する。通称:右大臣と左大臣。向かって右が左大臣で年配者、向かって左が右大臣で若者である。いずれも武官の姿であり、正しくは近衛中将または少将である。随身・矢大臣も参照。

●仕丁(しちょう)
従者と護衛(あるいは衛士)をあらわし、通常3人1組の人形を五段目に配置する。それぞれ、日傘をかざしてお供する係、殿の履物をお預かりする係、雨をよける丸い笠(かさ)を竿(さお)の先にのせてお供する係を分担している。向かって右から立傘(たてがさ)、沓台(くつだい)、台笠(だいがさ)の順に飾る。場合によっては、箒、塵取、熊手を手にすることもあり、宮中の清掃の役目をする。この時は向かって右から竹箒、塵取、熊手の順に飾る。怒り、泣き、笑いの表情から、三人上戸(じょうご)の別称もある。月代を剃っていることが多い。

 


お雛様の七段飾りの飾り方。画像付きで簡単に解説します。

メーカーによる追加
七人雅楽上記の五人雅楽に絃楽器の2人(和琴、箏、琵琶のなかから2つ)が加わる)
歌人柿本人麻呂小野小町菅原道真
能の鶴亀、
稚児(2人が多い、男雛女雛に近侍)
三賢女(紫式部清少納言小野小町

配置
三人官女以下のその他大勢の随臣、従者人形を「供揃い」という。現代日本では男雛を右(向かって左)に配置する家庭が多く、結婚式の新郎新婦もそれに倣っているが、人形の配置の仕方は下記のとおり近代前後で変化があり、それが現在も地域差として残っている。

壇上の内裏雛は内裏の宮中の並び方を模している。かつての日本では「左」が上の位であった。人形では左大臣(雛では髭のある年配の方)が一番の上位で天皇から見ての左側(我々の向かって右)にいる。ちなみに飾り物の「左近の桜、右近の橘」での桜は天皇の左側になり、これは宮中の紫宸殿の敷地に実際に植えてある樹木の並びでもある。明治天皇の時代までは左が高位というそのような伝統があったため天皇である帝は左に立った。西日本の一部ではこの配置を続けている家庭もある。

しかし明治の文明開化によって日本も西洋化し、その後に最初の即位式を挙げた大正天皇は西洋に倣って右に立った。それが皇室の伝統となり、昭和天皇はいつも右に立ち香淳皇后が左に並んだ。それにならい、男雛を右(向かって左)に配置することが一般的となった。

飾り方
飾り方にも全国各地で色々あるが、多くはこの3種の飾り方である。しかし、特に飾り方に決まりごとはない。
御殿を模しての全部の飾り方(段飾りなどを含む)
御殿の内の一室を拝しての飾り方
屏風を用いて御座所の有り様を拝しての飾り方
さらにはお囃子に使う楽器や、雪洞(ぼんぼり)、牛車などの家財道具を一緒に飾ることもある。上段の写真にあるような五段、七段(七段飾りは高度経済成長期以降、八段飾りはバブル期以降)の檀飾りが多かったが、最近では部屋の大きさに合わせたり雛人形を出し入れしやすいように段数を減らしたものが主流となっている。戦前までの上方・京都や関西の一部では天皇の御所を模した御殿式の屋形の中に男雛・女雛を飾り、その前の階段や庭に三人官女や五人囃子らを並べ、横に鏡台や茶道具、重箱などの精巧なミニチュアなどを飾っていた。
祭りの日が終わった後も雛人形を片付けずにいると結婚が遅れるという話は昭和初期に作られた俗説ともされ、旧暦の場合、梅雨が間近であるため、早く片付けないと人形や絹製の細工物に虫喰いやカビが生えるから、というのが理由だとされる。また、地域によっては「おひな様は春の飾りもの。季節の節できちんと片付ける」など躾の意味からもいわれている。
この行事に食べられる食品に菱餅、雛あられ、鯛や蛤の料理(吸い物等)、ちらし寿司があり、地方によっては飲み物として白酒、生菓子の引千切がある。

雛人形の生産地・販売地
関東地方に集中しており、生産地としては埼玉県のさいたま市岩槻区が有名。また栃木県の佐野市や埼玉県鴻巣市も小規模ながら生産店が存在する。販売に関しては全国の商業施設で販売されているが、集中して軒を連ねるのは、人形の問屋街である東京都台東区浅草橋駅周辺(浅草橋・柳橋など)が有名で、「人形の久月」「秀月」「吉徳大光(「顔が命の〜」のCMキャッチコピー)」らの専門店がある。これらの店舗は毎年正月から2月ぐらいにかけテレビCMを流す。ちなみに雛人形と共に手掛ける五月人形も3月3日以降にCMが流れる。

●雛祭りが祝日でない理由
江戸時代、雛祭りは「五節句」のひとつとして「祝日として存在した」とされる。しかし、1873年新暦採用が「五節句(=雛祭り)」の祝日廃止となって、さらに「国民の祝日」より「皇室の祝日」色が濃くなった。このため、戦後になって新たに祝日を作ろうとする動きが見られるようになる。祝日制定にあたり3月3日の案や、新年度の4月1日の案も出ていたが、最終的には5月5日の端午の節句を祝日(こどもの日)とする案が採用された。北海道・東北をはじめ寒冷で気候の悪い地域の多い時期を避け、全国的に温暖な時期の5月にしたというのが大きな理由のひとつとされる。

●特色ある雛祭り
各地で、大量に雛人形飾りを公開したり、特色ある飾りを飾ったり、少年少女、又は成人の男女が雛人形に扮したりする祭り等が、この期間中に開催される。

●雛祭りを歌った楽曲
うれしいひなまつり(童謡、作詞:山野三郎(サトウハチロー)、作曲:河村直則(河村光陽)、1936年 ポリドール)
ひなまつり(童謡、作詞:海野厚、作曲:三宅延齢)
おひなまつり(童謡、作詞:斎藤信夫、作曲:海沼実)
ひなまつり(童謡、作詞:斉木秀男、作曲:三宅延齢)
ひなまつりの歌(童謡、作詞:与田準一、作曲:河村光陽)
おひなさま(絵本唱歌、作者不明)
血塗られたひな祭り(人間椅子
ミニモニ。ひなまつり!/ミニ。ストロベリ〜パイ(ミニモニ。
雛祭(文部省唱歌、作者不明)
ひなまつり(文部省唱歌、作詞:林柳波、作曲:平井康三郎)
雛祭り(童謡、作詞:林柳波、作曲:本居長世
ひなまつり(童謡、作詞:水谷まさる、作曲:小松清)
雛祭の宵(ひなのよい、童謡、作詞者不詳、作曲:長谷川良夫)
雛の宵(長唄、作詞:松正子(松本白鸚夫人)、作曲:今藤政太郎)
雛の宵(清元)

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"春風や 闘志抱きて 丘に立つ" は「しゅんぷう」が大正解! 高浜虚子の誕生日に寄せて

2月22日は俳人高浜虚子の誕生日である。

 

"春風や 闘志抱きて 丘に立つ" 高浜虚子

 

声を出して読もうとしたが果たして「春風や」をどう読もうか迷いました。

 

「はるかぜや」又は「しゅんぷうや」どちらなんだろう?

 

下の句を見てみる。

 

ヒントは「闘志」にあるのではなかろうか。

 

青年・高浜虚子が海を臨む砂丘の丘に立ち、心機一転し、何やら、決意表明をしている様に感じられる。

 

はるかぜのイメージはそよ風でほんわか心地よい風、女性的である。

 

一方「しゅんぷう」はまだ肌寒く、冷たく、厳しい風を連想させ、男性的である。

 

答えは「しゅんぷう」ではなかろうか。

 

私訳

「俺はこれから戦いに挑むんだ、吹きすさぶしゅんぷうよ、負けないぞ!見ていてくれ」

 

向かってくる、しゅんぷうは対抗勢力または壁を象徴しているのではなかろうか。

 

ここで「はるかぜ」ではほんわかムードで、闘志がわいてこない。

 

前方に困難があればあるほど闘志はめらめらと燃えてくるものだ。

 

イケイケ、GO! GO!となるのである。

 

春風は通常ならば「はるかぜ」と読むのがが妥当なのだろうが、この句の場合には「しゅんぷう」がよりふさわしいと思う。

 

なんだか元気が出てきますね。

 

今、NHKで放映中の「西郷どん」の冒頭の山上のシーンを彷彿とさせます。

 

また、クラーク博士の名言、Boys be ambitious ! 青年よ大志を抱け!に通じるものがあります。

 

“Boys be ambitious ! Be ambitious not for money or selfish aggrandizement ,
not for that evanescent thing which men call fame . Be anbitious for the attainment of all that a man ought to be .”


少年よ、大志を抱け。
しかし、金を求める大志であってはならない。
利己心を求める大志であってはならない。
名声という、つかの間のものを求める大志であってはならない。
人間としてあるべき すべてのものを 求める大志を抱きたまえ。

 

しびれますネ。

 

高浜虚子 たかはま きょし

高浜虚子は明治・大正・昭和の三代にわたる俳人・小説家。

 

1874年 明治7年 2月22日  松山[生] 1959年 昭和34年 4月8日 鎌倉[没]
俳人,小説家。本名,清。伊予中学校時代に正岡子規の門に入り,第二高等学校在学中,俳句革新運動の開始を知り,河東 (かわひがし) 碧梧桐とともに中退して上京,子規を中心とする『日本』派俳句の双璧となった。

 

子規没後『ホトトギス』を主宰,写生説を受継いで伝統墨守の立場をとり,『日本』に拠って新傾向の俳句を推進した碧梧桐派と勢力を二分した。

 

一時は写生文小説に熱中したが,大正初頭に俳壇に復帰,「客観写生」「花鳥諷詠」論を主張した。『稿本虚子句集』 (1908) から『七百五十句』 (64) まで,多くの句集がある。小説は『俳諧師』 (08) ,『続俳諧師』 (09) ,『柿二つ』 (15) など。 1937年芸術院会員。 54年文化勲章受章。

 

1913年(大正2年)、碧梧桐に対抗するため俳壇に復帰。このとき碧梧桐の新傾向俳句との対決の決意表明とも言える句「春風や闘志抱きて丘に立つ」を詠んでいる。

 

代表作
・遠山に日の当たりたる枯野かな
・春風や闘志抱きて丘に立つ
・去年今年貫く棒の如きもの
・波音の由井ガ濱より初電車
・吾も亦紅なりとひそやかに

 

 

 

 

春になるということは 「さあもう一回やってみる時だよ」というお知らせ

あなたには、嫉妬心があります。

 

あなたには、競争心もあります。

 

あなたには、好奇心もあります。

 

だとしたら、

 

あなたには、大いなる可能性があります。

 

そのどれもが、生きるために必要なエネルギーを生むからです。

 

よりよく生きるためにあなたの中にいろいろな心を受け入れてあげましょう。

 

すぐすればすぐ済ます。

 

「誉め言葉」ノートを作りましょう。

 

あの時の私は勇気があった!

 

そんな風に我慢できた私は偉い!

 

今日のコーディネートは最高!

 

こんな「誉め言葉」ノートを見ていると、

 

気持ちにも心にも、大きな自信が付くのです。

 

春になるということは

「さあもう一回やってみる時だよ」というお知らせなのです。

 

人生における唯一の秘策は

 

目の前にあることに集中するだけ。

 

待ち時間とは「待たされる時間」ではなく、

 

「使いながら待つ時間」

 

☆彡心と体のバランスが良くなる秘訣

 

心が緊張すると、おなかが痛くなる、心臓がドキドキする。

これは一つの心と体の共同作業なのではないでしょうか。

 

「緊張しているのは君だけじゃないよ」と体が心に話しかけると

「そうだね、じゃあもうちょっと頑張ってみるよ」と心が答える。

 

 緊張や不安を克服した時は、

心も体も素晴らしい開放感を味わうことができるのです。

 

心と体が両方助け合っているからこそ、人生の様々なシーンをクリアできると私は思っています。

 

 

 

 以上は 中山庸子著 朝一番やる気がふくらむ言葉より

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