"春風や 闘志抱きて 丘に立つ" は「しゅんぷう」が大正解! 高浜虚子の誕生日に寄せて
"春風や 闘志抱きて 丘に立つ" 高浜虚子
声を出して読もうとしたが果たして「春風や」をどう読もうか迷いました。
「はるかぜや」又は「しゅんぷうや」どちらなんだろう?
下の句を見てみる。
ヒントは「闘志」にあるのではなかろうか。
青年・高浜虚子が海を臨む砂丘の丘に立ち、心機一転し、何やら、決意表明をしている様に感じられる。
はるかぜのイメージはそよ風でほんわか心地よい風、女性的である。
一方「しゅんぷう」はまだ肌寒く、冷たく、厳しい風を連想させ、男性的である。
答えは「しゅんぷう」ではなかろうか。
私訳
「俺はこれから戦いに挑むんだ、吹きすさぶしゅんぷうよ、負けないぞ!見ていてくれ」
向かってくる、しゅんぷうは対抗勢力または壁を象徴しているのではなかろうか。
ここで「はるかぜ」ではほんわかムードで、闘志がわいてこない。
前方に困難があればあるほど闘志はめらめらと燃えてくるものだ。
イケイケ、GO! GO!となるのである。
春風は通常ならば「はるかぜ」と読むのがが妥当なのだろうが、この句の場合には「しゅんぷう」がよりふさわしいと思う。
なんだか元気が出てきますね。
今、NHKで放映中の「西郷どん」の冒頭の山上のシーンを彷彿とさせます。
また、クラーク博士の名言、Boys be ambitious ! 青年よ大志を抱け!に通じるものがあります。
“Boys be ambitious ! Be ambitious not for money or selfish aggrandizement ,
not for that evanescent thing which men call fame . Be anbitious for the attainment of all that a man ought to be .”
少年よ、大志を抱け。
しかし、金を求める大志であってはならない。
利己心を求める大志であってはならない。
名声という、つかの間のものを求める大志であってはならない。
人間としてあるべき すべてのものを 求める大志を抱きたまえ。
しびれますネ。
★高浜虚子 たかはま きょし
1874年 明治7年 2月22日 松山[生] 1959年 昭和34年 4月8日 鎌倉[没]
俳人,小説家。本名,清。伊予中学校時代に正岡子規の門に入り,第二高等学校在学中,俳句革新運動の開始を知り,河東 (かわひがし) 碧梧桐とともに中退して上京,子規を中心とする『日本』派俳句の双璧となった。
子規没後『ホトトギス』を主宰,写生説を受継いで伝統墨守の立場をとり,『日本』に拠って新傾向の俳句を推進した碧梧桐派と勢力を二分した。
一時は写生文小説に熱中したが,大正初頭に俳壇に復帰,「客観写生」「花鳥諷詠」論を主張した。『稿本虚子句集』 (1908) から『七百五十句』 (64) まで,多くの句集がある。小説は『俳諧師』 (08) ,『続俳諧師』 (09) ,『柿二つ』 (15) など。 1937年芸術院会員。 54年文化勲章受章。
1913年(大正2年)、碧梧桐に対抗するため俳壇に復帰。このとき碧梧桐の新傾向俳句との対決の決意表明とも言える句「春風や闘志抱きて丘に立つ」を詠んでいる。
代表作
・遠山に日の当たりたる枯野かな
・春風や闘志抱きて丘に立つ
・去年今年貫く棒の如きもの
・波音の由井ガ濱より初電車
・吾も亦紅なりとひそやかに