人&言葉の時の花園

名言、諺、時事新語、流行語、詩・俳句・短歌や人物&言葉の使い方などをお知らせしています。

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"春風や 闘志抱きて 丘に立つ" は「しゅんぷう」が大正解! 高浜虚子の誕生日に寄せて

2月22日は俳人高浜虚子の誕生日である。

 

"春風や 闘志抱きて 丘に立つ" 高浜虚子

 

声を出して読もうとしたが果たして「春風や」をどう読もうか迷いました。

 

「はるかぜや」又は「しゅんぷうや」どちらなんだろう?

 

下の句を見てみる。

 

ヒントは「闘志」にあるのではなかろうか。

 

青年・高浜虚子が海を臨む砂丘の丘に立ち、心機一転し、何やら、決意表明をしている様に感じられる。

 

はるかぜのイメージはそよ風でほんわか心地よい風、女性的である。

 

一方「しゅんぷう」はまだ肌寒く、冷たく、厳しい風を連想させ、男性的である。

 

答えは「しゅんぷう」ではなかろうか。

 

私訳

「俺はこれから戦いに挑むんだ、吹きすさぶしゅんぷうよ、負けないぞ!見ていてくれ」

 

向かってくる、しゅんぷうは対抗勢力または壁を象徴しているのではなかろうか。

 

ここで「はるかぜ」ではほんわかムードで、闘志がわいてこない。

 

前方に困難があればあるほど闘志はめらめらと燃えてくるものだ。

 

イケイケ、GO! GO!となるのである。

 

春風は通常ならば「はるかぜ」と読むのがが妥当なのだろうが、この句の場合には「しゅんぷう」がよりふさわしいと思う。

 

なんだか元気が出てきますね。

 

今、NHKで放映中の「西郷どん」の冒頭の山上のシーンを彷彿とさせます。

 

また、クラーク博士の名言、Boys be ambitious ! 青年よ大志を抱け!に通じるものがあります。

 

“Boys be ambitious ! Be ambitious not for money or selfish aggrandizement ,
not for that evanescent thing which men call fame . Be anbitious for the attainment of all that a man ought to be .”


少年よ、大志を抱け。
しかし、金を求める大志であってはならない。
利己心を求める大志であってはならない。
名声という、つかの間のものを求める大志であってはならない。
人間としてあるべき すべてのものを 求める大志を抱きたまえ。

 

しびれますネ。

 

高浜虚子 たかはま きょし

高浜虚子は明治・大正・昭和の三代にわたる俳人・小説家。

 

1874年 明治7年 2月22日  松山[生] 1959年 昭和34年 4月8日 鎌倉[没]
俳人,小説家。本名,清。伊予中学校時代に正岡子規の門に入り,第二高等学校在学中,俳句革新運動の開始を知り,河東 (かわひがし) 碧梧桐とともに中退して上京,子規を中心とする『日本』派俳句の双璧となった。

 

子規没後『ホトトギス』を主宰,写生説を受継いで伝統墨守の立場をとり,『日本』に拠って新傾向の俳句を推進した碧梧桐派と勢力を二分した。

 

一時は写生文小説に熱中したが,大正初頭に俳壇に復帰,「客観写生」「花鳥諷詠」論を主張した。『稿本虚子句集』 (1908) から『七百五十句』 (64) まで,多くの句集がある。小説は『俳諧師』 (08) ,『続俳諧師』 (09) ,『柿二つ』 (15) など。 1937年芸術院会員。 54年文化勲章受章。

 

1913年(大正2年)、碧梧桐に対抗するため俳壇に復帰。このとき碧梧桐の新傾向俳句との対決の決意表明とも言える句「春風や闘志抱きて丘に立つ」を詠んでいる。

 

代表作
・遠山に日の当たりたる枯野かな
・春風や闘志抱きて丘に立つ
・去年今年貫く棒の如きもの
・波音の由井ガ濱より初電車
・吾も亦紅なりとひそやかに

 

 

 

 

春になるということは 「さあもう一回やってみる時だよ」というお知らせ

あなたには、嫉妬心があります。

 

あなたには、競争心もあります。

 

あなたには、好奇心もあります。

 

だとしたら、

 

あなたには、大いなる可能性があります。

 

そのどれもが、生きるために必要なエネルギーを生むからです。

 

よりよく生きるためにあなたの中にいろいろな心を受け入れてあげましょう。

 

すぐすればすぐ済ます。

 

「誉め言葉」ノートを作りましょう。

 

あの時の私は勇気があった!

 

そんな風に我慢できた私は偉い!

 

今日のコーディネートは最高!

 

こんな「誉め言葉」ノートを見ていると、

 

気持ちにも心にも、大きな自信が付くのです。

 

春になるということは

「さあもう一回やってみる時だよ」というお知らせなのです。

 

人生における唯一の秘策は

 

目の前にあることに集中するだけ。

 

待ち時間とは「待たされる時間」ではなく、

 

「使いながら待つ時間」

 

☆彡心と体のバランスが良くなる秘訣

 

心が緊張すると、おなかが痛くなる、心臓がドキドキする。

これは一つの心と体の共同作業なのではないでしょうか。

 

「緊張しているのは君だけじゃないよ」と体が心に話しかけると

「そうだね、じゃあもうちょっと頑張ってみるよ」と心が答える。

 

 緊張や不安を克服した時は、

心も体も素晴らしい開放感を味わうことができるのです。

 

心と体が両方助け合っているからこそ、人生の様々なシーンをクリアできると私は思っています。

 

 

 

 以上は 中山庸子著 朝一番やる気がふくらむ言葉より

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素敵なものは毎日使い、素敵なことを毎日作ろう。幸運を引き寄せる法則

幸運を引き寄せる法則。

 

 

今日という日のドラマは

あなた自身が書いたオリジナル・シナリオで進行していきます。

 

一度に何もかも変えようと力まなくてもいいのです。

 

チャンとよくなっているのだから。

 

幸せな人生には2種類のメガネが必要です。

 

一つは人生の目標を眺めるための遠眼鏡、

 

もう一つは日々の小さな喜びを見落とさないための虫眼鏡。

 

良いものはしまい込まず、毎日使ってどんどんツキを呼び込むのです。

 

☆彡素敵なものは毎日使い、素敵なことを毎日作ろう。

素敵なものを毎日使っていると、自然にステキなこととも、ご縁ができます。

 おなじスクランブルエッグでも、大きなお皿に盛りつけることにすれば、ちょっとイタリアンパセリを散らそうかしらとか、ランチョンマットも出してということになります。

 一日の始まりが、一枚のお皿によってグッと幸せの方に近寄っていく気がしませんか?

 

 

 

 

中山庸子著 朝一番やるきがふくらむ言葉より 一部抜粋

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幸運はその日の朝 それを望んだ人の所へ 「ものは試し」とやってくる。

幸運を引き寄せる法則。

Step1

 

幸運はその日の朝

 

それを望んだ人の所へ

 

「ものは試し」とやってくる。

 

自分のシャツと意欲に

 

毎日アイロンをかけましょう。

 

誰だって今日一日ぐらいなら頑張れるでしょう。

 

明日以降のことはその日が今日になったら考えればいいのです。

 

トラブルが起きたときは「試されている時」

 

すべてのトラブルには意味があり、

 

それに気づいた時が「成長の時」

 

 

中山庸子著 「朝一番、やる気がふくらむ言葉」より

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人生を変えたいのなら、習慣を変えること。「習慣を制するものが人生を制する」はづき虹映さんに学ぶ

あなたの人生は「習慣」によって作られている。

 

あなたの習慣があなたの人生を支配しています。

 

人生を変えたいのなら、習慣を変えること。

あなたの習慣を変えられるのは「あなただけです」。

 

 心理学的にみると「習慣」とは、「無意識の行動パターン」であり、

 

「長い間繰り返し行ううちに、そうするのが決まりのようになった行動」のこと。

 

つまり、習慣は「必ずそうしなければならない」という「決まり」ではなく、

 

あくまでも自分が無意識に選んでいる行動なので、

 

「意識」すればいくらでも変えられます。

 

習慣を制するものが人生を制する」という言葉は真理です。

 

 成功者のような「習慣」を身につけてしまえば、成功するのは当たり前です。

 

成功者の行動パターンを真似して、成功するのが決まっているかのように行動していれば成功しないでいるほうが難しいといえます。

 

 

 

 

ザ・ミラクル3分で人生が変わる魔法の法則81 DVD付

ザ・ミラクル3分で人生が変わる魔法の法則81 DVD付

 

 ザミラクル 3分で人生が変わる魔法の法則81 はづき虹映著 より

青春とはなんだ!  サミュエル・ウルマンの「青春の詩」に学ぶ

 

今日は幻の詩人とも言われている「サミュエル・ウルマン」が書いた「青春の詩」のご紹介です。

 

「青春の詩」"Youth" は、サミュエル・ウルマン が70代で書いた詩で、詩集 From the Summit of Years, Four Score に収められた作品のひとつです。

 

サミュエル・ウルマンは1840年4月13日、ドイツのヘヒンゲンでユダヤ人両親の長男として誕生。1924年3月21日84歳でこの世を去りました。

 

サミュエル・ウルマンは晩年に数編の詩をつくっています。

 

この「青春の詩」は1922年に家族が発行した詩集「80年の歳月の頂から」の巻頭の詩です。


「青春の詩」の流布にはダグラス・マッカーサーが関わっている。マッカーサーは、1940年ころにジョン・W・ルイスからこの詩を贈られたという。

 

この詩を気に入ったマッカーサーは、マニラで、のちには東京でも、執務室の壁に詩のコピーを額に入れて掛け、また講演でもたびたび引用した。『リーダーズ・ダイジェスト米国版』1945年12月号は、"How to stay young" という記事において、マッカーサーの執務室にかけられているというこの詩を紹介しました。

 

二次大戦終戦後、1945年9月27日に昭和天皇が,日比谷の占領軍総司令部にマッカーサー元帥を訪問した。天皇マッカーサー元帥と並んでツーショット写真を取られた部屋の壁に掛けられていた詩が、この青春の詩(英文)でした。

 

この詩を、ある日、岡田義夫氏説が発見し、感動し、漢詩調に翻訳しました。

 

これが後に松下幸之助氏の目に止まり、あるインタービューでこの「青春の詩」を紹介し、雑誌に掲載され一躍有名になりました。

 

又、ロバート・ケネディーがエドワード・ケネディーへの弔辞にこのウルマンの詩の一節を引用したのも有名な話です。


"Youth is not a time of life; it is a state of mind"(青春とは人生のある期間を指すのでなく、心の持ち方を指すものである)とするこの詩は、若い人たちには戒めとして、シニアの方には「人生の応援歌」として必ずや役立つものと思います。

 

人生において、心が折れそうになった時、生きていくのが辛くなった時、「青春の詩」"Youth" は必ず人生のビタミン剤として最適なものとなるでしよう。

 


サミュエル・ウルマン著  Samuel  Ullman の詩「 Youth 青春」について

青春  岡田 義夫 訳 

 

青春の詩

青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。

 

歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

 

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる、人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる、希望ある限り若く 、失望と共に老い朽ちる。

 

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを堅くとざすに至れば、この時にこそ人は全く に老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。

 

  

 

青春とは、心の若さである。 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

青春とは、心の若さである。 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

 

 


要約 「青春とは、心の若さである」 

 

YOUTH

   Youth is not a time of life-it is a state of mind; it is a temper of the will,a quality of imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love ease.

 

   No body grows only by merely living a number of years; peoples grow old only by deserting their ideals. Years wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, doubt ,self-distrust, fear and despair-these are the long ,long years that bow the head and turn the growing spirit back to dust.

 

   Whether seventy or sixteen, there is in every being's heart the love of wonder, the sweet amazement at the stars and the starlike things and thoughts, the undoubted challenge of events, the unfailling childlike appetite for what next, and the joy and the game of life.

 

you are yang as your faith, as old as doubt ;

as young as your self-confidence, as old as your fear;

as young as your hope, as old as your despair.

 

   So long as your heart receives messages of beauty, cheer, courage, grandeur and power from the earth, from man and from the Infinite so long as your young.

  When the wires are all down and all the central place of your heart is covered with the snows of pessimism and the ice of cynicism, then you are grown old indeed and may God have mercy on your soul.

 

 

 

★サミュエル・ウルマン(Samuel Ullman, 1840年4月13日 - 1924年3月21日)は、アメリカの実業家・詩人・人道主義者。彼の名は詩 "Youth"(日本では「青春」あるいは「青春の詩」と訳される)でよく知られている。

 

生涯

1840年、ドイツ・ホーエンツォレルン=ヘヒンゲン公国 (Hohenzollern-Hechingen) のヘヒンゲン(英語版)(現在はバーデン=ヴュルテンベルク州テュービンゲン行政管区ツォレルンアルプ郡に属する町)において、ユダヤ人の両親のもと生まれる。ウルマンの一家は1851年にアメリカに移住し、ミシシッピ州ポートギブソン (Port Gibson, Mississippi) に定住した。

 

1861年南北戦争が勃発すると、ウルマンはアメリカ連合国陸軍(南軍)に兵士として従軍するが翌年に除隊。

1865年にミシシッピ州ナチェズに移り住んだ。

 

ウルマンはここで商売をはじめ、1867年にエマ・メイヤー (Emma Mayer) と結婚した。夫妻の間には8人の子が生まれ、6人が成長した。また、ウルマンは市会議員を務め、また地元の教育委員会の委員となった。

 

1884年、ウルマンの一家アラバマ州バーミングハムに移住。自治体として設立されて間もないこの若い町で、ウルマンは金物の小売店をはじめ、続いて不動産業も兼営した。ナチェズで商業や教育に指導的な役割を果たしたことは知られており、1884年にはバーミングハム市教育委員会の委員に選出、1893年には委員長となった。

 

18年間の教育委員在任中、彼は黒人教育に関心を寄せ、黒人にも白人と同じ教育を行うことが教育的にもプラスになると主張した。このほか、病院の設立など、ウルマンは多くの地域社会活動に携わった。

 

市のユダヤ教改革派のエマヌエル教会において、信徒団の長を務め、1890年にはレイラビ(lay rabbi, 精神指導者[4]、在俗のラビ)になっている。ナチェズやバーミンガムにおける宗教的・教育的・社会的活動は、しばしば議論を招いたものの、敬意を払われる足跡を残した。

 

ウルマンは引退後、多くの時間を趣味(手紙やエッセイや詩の執筆)に注いだ。彼の詩や詩的なエッセイは、愛、自然、信仰、あわただしいライフスタイルの友人、そして「若く」生きることといった、さまざまな題材を扱っている。

 

1920年4月、80歳の誕生日を記念して、それまでに書き溜められた詩を集め From the Summit of Years, Four Score『80年の歳月の頂から』が家族の手によって自費出版される(出版年については1922年とも)。1924年アラバマ州バーミングハムにおいて死去。

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「許す」ということについて 先人に学ぶ

教皇ヨハネ・パウロⅡ世が「人を許す時許した人は自由になり、解放されます。人を許すとき、その人は未来を創造的に切り開いてゆくことができます。」と言っていますが、他人を許さないとき、その人は不自由になります。

 

 その理由を教皇は続けて次のように言っています。

 

「人を許さない人は他人の支配下にある人なのです」これは面白い言葉です。

「許さない」と言う人が上位に立っているかと思うと実はそうではなくて、そのこだわりに縛られ、許していない相手の支配下にあるということ。自分が自分の主人でないということなのです。


自分の生活を大切にするためには、自らの感情を自分でスッパリ「断ち切る」事が時には必要です。

 

「もうこれ以上このことで悩むまい」と。

 

しかし人間のこと断ち切ったつもりでも、なかなか忘れられず許せないこともあります。そんな時、「時間」が一番いい薬なのかもしれません。

 

 人を許した時、許した人は自由になる。

 

理不尽な相手は、無視するのではなく、距離を置いてみよう。

 

 許すための工夫も必要です。

例えば許せない行為に出会った時、もし自分が相手の立場に置かれていたら、もっとひどいことをしたかもしれないと想像すると、何となくいきり立っていた自分がおかしくなって、相手を容認しやすくなります。

 

またキリストでさえ、ひどい仕打ちを受けたのだから、私のようなものが受けるのは当たり前だと考えることもできねし、苦労して、初めて人間は成長するのだ、有難い、と考えることもできましょう。

 

いずれにしても「疲れてはならない」のです。

 

 しかし疲れます。特に、自分がこんなに、苦労して、私と人の間を美しく見ようとしているのに、その相手が少しも努力をしてないようなとき。

そんな時、私は「疲れてはダメ」と自分に向かって呟くのです。

 

幸せはあなたの心が決める

幸せはあなたの心が決める

 

 (幸せはあなたの心が決める 渡辺和子著より)


※人は祈ることによって、癒しを得て、赦すことを覚えていくことができ、そして、人生を理解することができるのです。

 人生には様々なことが起こり、心が折れそうになる時もありますが祈ることで気持ちがすっきりし、また、人の為に祈ることで私たちは自らを救うことになるのではないかと思います。

 

 

私らしい人生のしまい方

私らしい人生のしまい方

 

 私らしい人生のしまい方 大前伶子著より一部抜粋


「許す」ということは私には理解できません。なぜなら何でもかんでも許してしまっては社会の秩序は保たれません。

犯罪が行われても許すのでしょうか。許されないから法律で罰するのです。


原爆禁止運動はどうでしょうか。相手を許さないから「原爆反対」と訴えているのではないでしょうか。

「あっしにはかかわりないことでござんす」(木枯し紋次郎)ということで

自分に関係のないこと、火の粉が降りかからなければ許してもいいです。

 

「赦しは、憎しみの悪循環を断つ力である」。とも言いますがしかし降りかかる火の粉は払わなければなりません。


許せないことに遭遇すれば倍返しをするという生活信条を持っている方もいると思います。

「目には目を歯には歯を」という考えは当たらずとも遠からずです。

それを罪を犯しても「許す」という考え方には納得いきません。

百歩譲っても「水に流す」ぐらいですかね。

どうしたら「許す」という心境になるのか私にとってはいまだに謎の発想です。

 

そんな時、斎藤一人さんの本を読む機会がありました。


そこで「許せない自分を許す」という言葉に目からうろこです。

 斎藤一人さんは「許せない人を許しなさい。それができないならば許せない自分を許しなさい」。

「そのままの自分を許します」と声に出していってみてください。心が緩んで人のことも許せるようになります。


と説いています。

 

 

お金とご縁がなだれ込む! すごい「引き寄せの法則」

お金とご縁がなだれ込む! すごい「引き寄せの法則」

 

 

「すごい引き寄せの法則」その他著書多数。

 

☆彡お勧めビデオ 


斎藤一人 自分を許すと世界が変わる #128

 

 

「自分はこういうだらしのない人間、許せないのよ」そういう自分を許してあげるということなんです。


自分が許せないだけじゃなく、あの人も許せない、この人も許せない、自分の親も許せない。

「人は完全ではない」


許せない状態だと交感神経が発達し、体が硬直する。


肩が身体がバリバリな人は、自分か他人を許せない。


許すといういう意味は、ゆるめるという意味。


ゆるめると、副交感神経が発達して、免疫力が強くなって身体の悪い病原菌やっつけたり、健康なったりする。


なかなか病気が治らない人ってね、何かが許せない。


まず自分を許す訓練すること。


「自分も許せないし人も許せないんです」つったら、そういう自分を許すの。


「許そうと思っても、まだ許せないんです」ったら、そういう自分を許すの。


で、どこまで行っても自分を許すしかないの。


そうすると、人も許せるようになる。ただこれだけの事で、許せば、緩むの。

 

斎藤一人 自分を許すと世界が変わる #128より 一部抜粋

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